日本金属ハウスウェア工業組合

組合概要組合について

日本金属ハウスウェア工業組合

当組合は燕(つばめ)市という新潟県のほぼ中央に位置する「県央地域」に所在しています。この地域には金属加工を生業とする企業が数多く集まっています。昭和39年に日本輸出キッチンツール工業組合として設立以来、輸出の安定化、金属加工技術の開発、新開発素材による新分野商品の開発試作、キッチンツールの市場調査、製品安全対策、産地ブランド形成研究など、さまざまな取組みで産業を支えています。

組合事業

  • 金属ハウスウェア製造業に関する指導及び教育、情報の収集及び提供、調査研究。
  • 構造改善計画の作成、産地振興事業の推進、指導等。
  • 組合員の取り扱うハウスウェアの共同購買・共同加工・共同販売・共同保管・共同検査・共同受注。
  • 組合員に対する事業資金の貸付け、及び組合員のためにするその借入れ。

沿革

1964年(昭和39年)7月 日本輸出キッチンツール工業組合設立
1966年(昭和41年)3月 日本輸出金属ハウスウェアー工業組合に改組
1982年(昭和57年)12月 日本金属ハウスウェアー工業組合に改組
2000年(平成12年)8月 日本金属ハウスウェア工業組合に改組

金属加工のはじまり

新潟県のほぼ中央に位置する燕市は古くからモノづくりの「技」を持ち、更に技術を磨きながら、金属加工のまちとして発展してきました。
金属製品加工の歴史は江戸時代元禄年間(1698年頃)の和釘製造にはじまり、以後、宝永四年(1707年)にはヤスリ製造の基礎を築き、明和元年(1764年)には煙管(キセル)、寛政七年(1795年)には矢立、文化元年(1804年)には鎚起銅器を製造し当時の金属製品産地として栄えました。そして、明治末期になると文明開化によって日本に洋食が流行し、それによって金属洋食器製作の注文が東京から入り、それまで培われた燕の金工技術を土台として、手づくりで試作されたのが金属洋食器産業の始まりであります。
また、昭和20年10月には玉虎堂製作所が日本ステンレス社からのステンレス鋼板の支給を受けた多量のミルクパンの受注が契機となり、業務用・家庭用調理器具である金属ハウスウェアの生産が始まりました。また、昭和21年には国内初のステンレス鋼製湯沸かし第1号が生産されるなど、本格的なステンレス鋼製品が製造され、今に至っております。
現在では、長い歴史の中で培ってきた金属加工技術を生かし、チタン、マグネシウム合金などの新素材の加工や新技術の研究開発を行いながら、高付加価値なモノづくりに挑戦しております。